~デジタル大辞泉より
この言葉を知ったのは受験生の頃。分厚く難解な参考書の本文の合間に「Coffee Break」というタイトルの雑学・豆知識的なエッセイが載っていた。
それは文字通り単なる息抜きの意図として。でも、このCoffee Breakは僕の琴線に刺さったようで、 皮肉にも覚えるべき本文の内容はすっかり忘れてしまったが、 こちらの方はいまだに印象に残っていたりする。色々とうまくいかず四苦八苦していた受験生時代を象徴するような出来事のひとつだ。
大学時代の一時期は音楽サークルに入っていて、 学園祭でサークル主催のライブに出ることになった。たまたま同期のヤツと「フォークデュオで何かやろう!」という話になり、 まずユニット名は? というところで、はた、と悩んだ。
当時はすでにいわゆるフォークブームは末期。ブームの反動でハードなロック系バンドが急速に主流になった頃だった(ボン・ジョヴィの「夜明けのランナウェイ」とかのコピーが流行っていた)。当然、出るのもロックバンドが大多数。ギターの弾き語りなんかは極々少数で、 プログラムにはいかにもなロック系のバンド名が、ずらっ! と列挙されていた。
実は、純和風な正統派フォークグループ的な名前が好きなことは共通な二人だった。フォーク系のユニット名は悪目立ちし、よけいに嘲笑の的になってしまう……そんな悲しき風潮の、フォーク系音楽、あるいはアコースティックギターの暗黒時代のことである。演奏がヘタなのはしょうがないとしても、名前で馬鹿にされるのはいやだなぁ――。演奏内容うんぬんの前にいきなり壁に当たってしまったのだった。
さて、当日の出演者リストを見て思う。いくら主流であるからといって最初から最後までゴリゴリのハードロックじゃぁ、 聴く方もさすがに体が持たないのでは?
少しは休憩をはさまないと……休憩……Coffee Break ――ん? それだ!
かつての参考書の怒涛の難問の合間の役に立たない豆知識のような、 轟音のロックの洪水の合間の一服の清涼剤。そういう隙間こそ我々の唯一の活路ではないか?
このコンセプトは自分たちの中でクリティカルに響いて、 ユニット名もそのままCoffee Breakになった。
狙いは当たった! 居並ぶハードロック系バンド名の中間に挟まれた、Coffee Breakの文字の視覚的効果は想像を超えたものだった。
↓例えばこんな感じに
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ボン・ジョヴィ
モトリークルー
ヴァン・ヘイレン
Coffee Break
ラウドネス
マイケルシェンカーグループ
エアロ・スミス
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これが「なんだか、-ここで休憩- みたいに見えるぞ。お客さんぞろぞろ居なくなるんじゃない?」と、馬鹿にされるどころか逆に大いにウケた。いやいや、これだけでもう望外の大勝利だ。これ、いいユニット名じゃないか?
我々は大いに満足した。まぁ、当日の演奏自体は望外の……とはいかず、予想通りに至極残念な出来だったけれど。
月日は流れて――現在。オリジナルを新ユニットとしてやろう! と思い立った時、このことを思い出した。毒にも薬にもならない、雑学・豆知識的なコンセプトも僕に合ってる気がするし 、一度挫折した音楽活動のリベンジ! という気概も多少はあるし……というのが-Coffee Break-(※1)の由来だ。
最近は、やる! と言ったら、けっこうしぶとくやり続けられるようになったので、-Coffee Break-もマイペースで長く続けられたらいいなぁ、と思っている。
<完>
※1:当時の表記は「Coffee Break」。より視覚的効果を狙って「-Coffee Break-」と改めた(2017.7)