3.Larrivee Guitarの時代別考証  

(3) ノースヴァンクーバー時代前期 1982~1987

 1982年、Larriveeはビクトリア島から本土のノースヴァンクーバー市に拠点を移し「工房」から「小さな工場」になった。この頃は世界的にエレキギター・電子音楽が台頭し、一つのアコースティックギター時代の終焉が迫っていた時期でもある。不遇の時代の始まりであり、また、その後の新生Larriveeへの準備の期間とも言える。

 

 仕様の変化としては、ラベルが「1982 Updated charub」にマイナーチェンジされ、そしてペグがグローバーのインペリアルからシャーラー製になった。ただ、この1982年の変化が前述のヴィクトリアからの移転前か後かははっきりしていない。とはいえ、ラベルを変える契機は移転によるもの、と推測するのが妥当と考えた次第である。

 

 僕が所有していたL-09 Mucha Lady 1982は恐らくこの時代の初期のものと推測する。もしかするとビクトリア時代最終期の可能性も否定できないが、どちらにしても前述以外の仕様的変化はない。これはビクトリア時代と同様に美しいギターだ。

L-09 Custom Order Mucha Lady 1982
L-09 Custom Order Mucha Lady 1982

1982 Updated charubラベル
1982 Updated charubラベル

 

 実は変化としてより大きいのは時代の変化の方だった。ノースヴァンクーバーの工場は1992年まで続くのだが、移転直後の1982年には本格的にアコースティックギター受難の暗黒時代到来が迫り、Larriveeも否応無くこの流れに飲み込まれて行く――。ノースヴァンクーバー時代前期とは便宜的にこの暗黒時代の終わる1987年までを指す。

 

 その暗黒時代の1983年~1987年頃、Larriveeはこの時期なんとエレキギターを生産して苦境に耐えていた。アコースティックギターの生産数は壊滅的なレベルに激減したと推測する。実際、この期間のLarriveeギターは未だ見たことがない。何本くらい作られたのか、どんな仕様だったのか、興味のあるところではある。

 

 しかし、この時期に得た技術は後のモデルに生きることになる。極端に生産数が減った1980年代中盤以降、Larriveeはフルモデルチェンジへの試行錯誤をしていた。さらなる機械化と、エレキギター製作技術のフィードバックだ。それは、一つの完成を見た「手工Larrivee」からの脱却を意味するものだった。これ以降のLarriveeは全く別物と言ってもいいほど仕様も音も変わり、そして急速に発展して行く。