魔道記~外伝(非・魔物ギター編)

魔女以前  

~1979年~

 

 「試験で成績が良かったら」という条件をクリアして買ってもらった Morris W-20。これが僕の一番最初のギター。値段は2万円。中学3年の冬のことだ。 

 

 このW-20を語るとどうしても、若気ばかりが先走っていた苦い時代の記憶とシンクロせざるを得ない。なんかもう冷や汗が……。

 

 ギターを始めた直接のきっかけは以前こちらのブログに書いた通りだけれど、 

→So-netブログ:クラリネットをこわしちゃった ←So-netブログは閉鎖しました 2023.05.13

 

ギターが弾けるとちょっとはモテるんじゃないか? というありがちな勘違いも大いにあったことは認めよう。しかし――これは力強く断言できるが、ギターを弾けることとモテることは全く関連性はありません。ええ。モテる奴はギターが弾けなくたってちゃんとモテるし、モテないのはギターが弾けないことが理由では決してない!

 

 今思うと、ギターはモテるなんてどうしてそんな短絡的な発想になったのか? 昔の自分に小一時間位とくとくと説教してやりたい気分だ。

 

 とはいえ、無意味に持て余し気味だった邪念もギターを始めるには必要だったのかなと思う。無謀にも習いもせず、よくも独学で始めようなんて思ったものだ。ギターは簡単に始められると思われているけれど、実はけっこう難しい部類の楽器であるから。

 

 その後、早々に「ギター = モテ」が幻想ではないか? とうすうす気付いたが、なんだかんだギターは続けていた。予想通り結局モテるようにはならず、当時のロクな思い出はないけれど、まぁ、ギターを弾くこと自体が好きだったんだと思う。 

 

 

 さて。何故Morrisだったか? というと、Morrisの他にはYAMAHAとかCat's Eyesくらいしか知らなかったし、近所の楽器屋にたまたまMorrisがいっぱいあったから――って程度の理由。特にMorrisが好きだったわけではない。 

 

 ちなみにMorrisとは日本のモリダイラ楽器のギターブランド名だ。ギター弾きなら誰でも、一度はお目にかかっているはずの初心者向けブランド――いや、中~上級者向けの高額機種もラインナップには一応揃ってはいた。けれど、当時の国産メーカーのギターは皆Martin、Gibsonの「コピー」モデルだったので、上位機種になるほど本家とのいろんな意味の「格差」に苦戦することになり、売れ筋は初~中級者向けにならざるを得ない事情もあったと思う。本当のところはわからないけれど。 

 

 まぁ、とにもかくにも僕は当時の若者の多くが通った「Morrisの門」からギターの世界に足を踏み出すことになった。

 

 Morrisはアリス、かまやつひろし等をイメージキャラクターに使っていた。僕より上のフォークブームど真ん中の世代の方々は「モーリス持てばスーパースター!」というCMを思い出すそうだけど、残念ながら僕はそのフレーズをリアルタイムには知らない。

 

 

  W-20は、カタログでは下から2番目の値段。音が出れば良し! レベルの完全な入門仕様だったけれど、ギターのいろはも知らない中学生には十分だった。外観はいわゆる「王道」であるMartin D-28のコピー。本家Martinのことは知らなかったから、ギターというものはみんなこの形だと思っていた。だからこそ高1でLarriveeの写真を初めて見た衝撃は大きかったんだよなぁ。

 

 外観はインレイ等の装飾もなく実に素っ気ない面構えだった。ただし、本家のMartin D-28はその飾り気の無さがカッコイイと思えるのに対し、Morris W-20クラスではいかにもチープ! としか見えない。

 

Morris W-20 スペック(当時のカタログより) 

 表板:スプルース(合板) 

 裏・側板:オバンコール2ピース(合板) 

 棹:ナトー 

 指板・駒:ローズウッド 

 糸巻:単式カバー付きクローム1DC41-01M(粗悪安物) 

 弦:モーリスライトゲージUSA 

 指板・ポジション:丸ポジ 

 

 まだ高級材が潤沢に使えた時代にもかかわらず、聞きなれない種類の謎の木材が使われている上に、サドル、ナット、糸巻き等の重要な振動系パーツが極端な粗悪品――。これらの要素のマイナスの相乗効果からか、W-20は何年経っても良い音で鳴るようにはならなかった。単に腕が悪かったという根本的問題も大きいけれど。まぁ、そういう意味で当時の僕には相応のギターではあった。 

 

 でも、今思うと弾き難いギターだったなぁ。弦高が高かったし。買ったまま何の調整もしなかったせいなんだけれど(調整なんて知らなかった)。 

 

 それでも大学時代まではメインでがんばっていた機種だ。何より、これなくして今の僕は有り得ないのだから。

  

唯一残っているMorris W-20の写真(左側)。右側は「初代魔女」L-28   
唯一残っているMorris W-20の写真(左側)。右側は「初代魔女」L-28  

 

  時代背景的に、Morris W-20を買った1979年頃はフォークブームの末期に近かった。うん。あれは本当に「ブーム」だった。昔は今ほど価値観が多様化していなかったからか、一度「ブーム」になるとそれは巨大なうねりになって全国津々浦々まで浸透し、かなりの長期間にわたって力強く続いたように思える。

 

 最たる例として、幼少期のボウリングなんてなんであんなに流行ったのかってくらい急速に広まって、あちこちにいっぱいボウリング場ができた。どこも1時間待ちとかあたりまえで、無趣味の代名詞みたいなウチの親父でさえ幼い僕を連れて週末毎に投げに通ったほどだ。それがいつの間にか、それこそあっという間にブームは去って、どの町にもボウリング場の廃墟が空しく取り残されて――という流れの風下にフォークブームもあったように思う。 

 

 当時の学生(特に男子)の半数はギターを触った経験があろう。家庭における普及率はTVゲーム機並(少々言いすぎかな)。国産で学生に手が出せる価格帯の商品はそれこそ百花繚乱よりどりみどりの充実振りだった。特にW-20のような5万円以下の入門モデルなどは、まるで靴を選ぶかのように「予算」というサイズがどんな大きさでも必ずピッタリ合うような細かい価格設定になっていた。どこのブランドもとてつもないラインナップで、5千円、1万円刻み。ヘタすると2千円差というのもあった。 

 

 Morrisを例に取ると、売れ筋の入門クラス「W」シリーズは、W-18、W-20、W-25、W-30、W-35、W-40――

※W-xxの数字部分に1000を掛けるとそれが値段になる(例:W-18は18,000円) 

一つ上下のモデルとの値段差がどこにあるのか、カタログからは全く読み取れない。

 

 で、どれだけ作ってたんだ? と。調べてみると、例えばMorrisも自社工場だけでは生産が追いつかず、寺田楽器、飯田楽器などにOEM生産を委託していた。同じモデル名でもちょっと時期が違えば細かいスペック違いはあたりまえで、作ってるメーカー側も把握しきれないほど。それで年間30万本作っていたらしい(情報元:Wikipedia)。 

 

 30万本って……凄い。それが採算合うだけ売れたんだから、幸せな時代だ。 

 

 

 

 やがてブームは去り――

 

 大学時代。覚えているけれど、気がつくと急に「フォークギターなんて時代錯誤!」みたいな風潮になっていた。タチの悪い疫病みたいに。いったいあれはなんだったんだろう?

 

 「流行り」が理由で持ってた連中のギターはこの時、押入れや物置にしまい込まれてしまった。だから今、巷のどんなリサイクルショップでもゴミ同然に大量に売られているギターのほとんどは、この時代の「入門モデル」だ。ヤフオクでも例えばこの頃のMorrisは常時100本以上も出品されていて、当時の定価5万円以下モデルは捨て値の投げ売り持ってけ状態。一方、対照的に定価10万円超え高級機はごくたま~にしか出ないレアアイテム化しているのが面白い。

 

 つまり、当時売れていたギターの圧倒的大半が入門クラスの安物だったってことだ。この傾向も正しくブームだったことの証明になる。こうした現状をみるとMorris W-20を含む入門クラスギターこそが、この時代の主役だったと言えるのかもしれない。 

 

 

 ちなみに僕はとことん「流行り」には疎い方で、当時も流行りに乗せられてギターを始めたとは全く思っていなかった。もしかすると流行っていたという認識さえもなかったかも。まぁ、このめでたさが今でもギターなんか弾いている理由の一つではあるのだけれど。

 

 

<完>