3.Larrivee Guitarの時代別考証  

(2) ビクトリア時代 1977~1982 

 1977年、Larriveeはトロントを離れ、カナダ西端ヴァンクーバー市の隣のビクトリアという島に工房を構える。賃貸ではない自前の初めての工房である。ここでJean Larrivee氏はギター製作の各工程機械化への取り組みを開始する。

 

 この時のメンバーは8人(1年後には職人の数は14人に増えた)。リンダ・マンザーをはじめ、今では一流のルシアーとなった若き逸材達がJean Larrivee氏の下、互いに切磋琢磨し合って製作していたのがこの時代のLarriveeギターだ。ヘッドにブランド名が無いにもかかわらず、見ただけでそれがLarriveeと判る個性的な外観、華麗なインレイ、奏でる音の美しさ――そこには他を寄せ付けない孤高の雰囲気さえある。

 

 実際、この頃のLarriveeスティール弦モデルはまさしく個性の塊だった。ボディ形状、寄木細工のサウンドホールロゼッタ、透明ピックガードなど、クラシックギターの面影を色濃く残しながらも、一方でフローレンタインカッタウェイ、Grover109(Imperial)ペグ、インレイなど独自の特徴を融合させ、唯一無二の世界観を確立していた感がある。また、偶然なのか意図してなのかもしくは僕の所有している個体がたまたまそうなのか、恐ろしく良質な材が惜しみなく使用されており、このわずか5年あまりの短い時代のLarriveeギターはある意味「奇跡の産物」の域にあるといえる。

 

 そんなLarriveeギターはこのビクトリア時代の1980年頃に初めて日本に紹介された。当時は「ジョン・ラルビー」と表記されていた。この時、たまたま雑誌で見たL-78 Presentation Cutawayは僕のギター歴の中で最大の衝撃だった。後にも先にもこれほどの衝撃はない。

L-78 Presentation Cutaway 1979
L-78 Presentation Cutaway 1979

 

 この時代の途中、1979年になって外観的に初めて変わった部位はサウンドホールだ。サウンドホールの径がそれまでの88㎜から10㎜大きくなって98㎜になったのである。それまでのサウンドホール径はクラシックギターと同じで、L型のボディには比率的にやや小さめだった感は否めない。それが、ボディーに見合った大きさになったと言える。おそらく音色にも影響するこの変更は、微妙だが実は重要な変化かもしれない。

L-10 Deluxe 1978 径88㎜
L-10 Deluxe 1978 径88㎜
L-78 Presentation Cutaway 1979 径98㎜
L-78 Presentation Cutaway 1979 径98㎜

 

 もう一つ外観的には、1980年になってラベルが変わった。ラベルは手書きの製造年とJean Larrivee氏のサインが入った「Alan Mageeラベル」から、奥さんデザインの、サインも製造年も無い「1980 Victoriaラベル」になった。製造年をなくしたのは販売店からの要望で、サインの方はJean Larrivee氏が忙しくて全てのギターにサインを入れられなくなったのが理由という。

Alan Mageeラベル
Alan Mageeラベル
1980 Victoriaラベル
1980 Victoriaラベル

 

  だとすれば、Jean Larrivee氏の直接手作りによる工程が確実にあったのは1970年代までということになる。ただ、このことで前後の品質に何らかの差があるかどうかは疑問である――Jean Larrivee氏手作りのクラシックギターは重要な部分はしっかり精密にできているが、些細な部分に精度がおおざっぱな箇所が散見されるので。

L-31 Classical 1978
L-31 Classical 1978

 

  材質的には、1980年代になって上位グレードの表板材がジャーマンスプルースからシトカスプルースになった。これも間違いなく音色に影響する変更だ。ただ、これがいつからなのか、又、どのモデルに対しての変更かははっきりしていない。

 

 また、この頃を境にインレイのディティールや雰囲気も微妙に変わっている。1970年代のインレイはどちらかと言うと「ほのぼの」とした表情を持つものが多かったが、これが徐々に劇画的な表情になって行く。インレイ製作手法に何らかの変更があったか、または複数だった担当者がLarrivee氏の奥さんメインになったということだろうか。


 左:L-10 Deluxe 1978 の「FALCON」 右:L-27 Inlay Cutaway 1980 の「UNICORN」、ちょっと目つきが違う…… 

 

 ところでこの時代のLarriveeについて、世間ではJean Larrivee氏一人の手による完全な手工ギターだと思っている人が相当数いると見受けられるが(実は僕も昔はその一人だったが)、それは間違いである。Jean Larrivee氏一人が手作りしているのではなく、複数の職人たちによる分業制となっていたことは公式ウェブサイトの記述、その他で明らかである。ただし、製作工程については、まだ機械化を模索し始めた時期で、実際には手作業の工程がほとんどであったため、ほぼ「手工ギター」と言っても間違いないだろう。それが証拠に、製品の個体差が大きいこともこの時代の特徴の一つである。

 

 この時代のLarriveeは「工房」といえる規模であり、トロントで産声を上げた手工ギターとしてのLarriveeが完成を見た時期だった。トロント時代にプロトタイプとして世に出たLarriveeアコースティックギターの、初期最終進化形がこの時代の製品達なのだ。ちなみに、この約5年間での製造本数は全モデル合わせても2,200本程度(数字の根拠は後述)。それゆえ、この時代のLarriveeギターはどれも市場にはなかなか出回らない希少なものとなっている。

 

 僕の初代L-28はこの時代、おそらく1980年の製品だ。このギターは言いようもなく美しかった。それは美化された記憶ではない。最高グレードの材にありったけの技と魂のこもったギター――その音は美しく心の奥底まで響く。後の世代ではもう出せない音をこの時代のLarriveeだけが奏でることができるのだ。

 L-28 Deluxe Cutaway 1980 左は現在所有中、右は大学時代に所有していたもの
L-28 Deluxe Cutaway 1980 左は現在所有中、右は大学時代に所有していたもの
L-28 Deluxe Cutaway 1980 と L-78 Presentation Cutaway 1979
L-28 Deluxe Cutaway 1980 と L-78 Presentation Cutaway 1979 当ウェブサイト内で「魔女」と称するギター達はほとんどがこの時代のものである