究極の魔女  

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 遠い昔――未曾有の衝撃を伴って僕を魅了したLarriveeギター。それは現実でありながら、遠い遠い別世界の魔女だった。そんな憧れの存在が、ある日突然目の前に現れたとしたら――僕は気付かないまま、すれ違ってしまうかもしれない。

 

 でも、無意識の僕がきっと気付くはずだ。もし本当に、魔女の前髪が、横顔が、僕のため息が届くほど近くを通り過ぎようとしていたのなら――。 

 

 

◆平和が訪れていた

 

 2008年12月。「初代魔女」探しに一応の決着がついて、平和な日常が訪れていた。

 

 クラシックギターはすでに日常生活の一部と化している。この11月にはL-31 Classicalで発表会にも出た。次はアコースティックギターの番だ。「暫定・究極の魔女」L-10 Deluxeが、出番を待ちわびていた。

 

 幸いにも仕事は大きな波もなく落ち着いていて、今なら時間を作るのもさほど難しくない。年が明けたら本格的に活動を開始しよう! そう考えていた。ところが。

 

 かつてない急速な景気の悪化――。そんな話題がニュースになり始めて数ヵ月後。僕の職場も例外ではなく、確実に暗い影は伸びてきていた。そして2009年が明けると、事態が急変する。 

 

 

◆緊急事態!

 

 来年度は仕事が無い! 冗談ではなく誰もが焦っていた。なのに、実際は年初から降って湧いたように突然忙しくなった。どうやらキーワードは「年度末」。予算使い切りのための駆込み受注と、トラブル対応の期限を年度末と指定された結果だった。

 

 理由はどうあれ、とにかく緊急事態。この3ヶ月間は仕事の線でビッシリ詰まることになった。最初から休日出勤を前提とした日程で、当然、ギターの活動計画も先送りに……。 

 

 とかく世間的に逆境な時は、僕にとっては逆にチャンスとなることが多いのだけれど、今回はさすがにそんなことを考える余裕もなく、忙しさと混乱の日々に突入していった。 

 

 

◆2月のある日 

 

 間断のない過密スケジュールの中でも、エアポケットのように余裕が生じることがある。そんな2月のある日。 久しぶりにほんの少し、本当にほんの少しだけれど余裕ができた。パソコンを立ち上げようと思えるだけの余裕が。 

 

――時間的にも。 

――精神的にも。 

 

 2月になって初めて、まともに「ヤフオク」を覗いてみた。古いLarrivee探しにオークションサイトは必見だ。

 

 しかし、仕事の乳酸で飽和状態の脳みそは、ギターのカテゴリーを見てもときめかない。いつもは感度全開のアンテナも頭の奥の方に引っ込んでしまっているようだ。 

 

 チャンスはいつだって前髪しかないんだよ――そのことは骨身に沁みてわかっている。なのに、まるで家の外から窓越しに室内のテレビを見ているかのように、画面に意識が集中できない。「Larrivee」の文字を見ても、何だか反応が鈍い。「仕事サイボーグ」と化した僕のLarrivee検知レベルは最低まで下がっていた。

 

 余裕ができた、と言ってもPM10:00はとっくに回っていて、おまけに空腹だった。今は、やかんの湯が沸くまでの待ち時間。手早く食事を済ませたら明日の仕事の段取りを決めないと……。

 

 仕事サイボーグ脳は、意思とは無関係にただ前のめりに進もうとする。普段は仕事のことなんて家では考えないのに――。でも、今は頭を休ませるわけにはいかない。それほど切迫したスケジュールだった。 

 

 そんな嵐の隙間の、湯が沸くまでのほんの5分間。 

 

 

 運命の女神は気まぐれで、こういう時に限ってこっそり悪戯を仕掛けてくるものらしい。いや、女神ではなくて極悪な魔女なのかもしれないけれど。 

 

 とにかく、この日見た一つの出品物は、気まぐれな女神(=極悪な魔女)が用意した運命の扉だった。その扉を開いてしまった僕は女神の、いや、魔女の「試練」を受けることになる。