3.Larrivee Guitarの時代別考証  

(1)トロント時代 1967~1977

 Larrivee――その始まりはカナダのトロント。若きJean Larrivee氏はエドガー・メンヒの元でクラシックギター製作を学んだ。その後クラシックギターを製作する傍らで、1971年頃から地元ミュージシャン達との交流の中から独自のスティール弦アコースティックギターの製作を開始する(※1)。それが現在のLarriveeギターの始まりであった。Martin、Gibsonという既知の存在にとらわれないオリジナリティーの結晶がLarriveeギターだ。

 

※1:1971年製の現物の画像を見たことがある。ボディ形状はMartinタイプのD型でヘッドにはインレイも文字もないが、サウンドホールロゼッタ、透明ピックガード、フレットのインレイはすでに後の時代のものと大差がない仕様である。

 

 

 

 クラシックギターの力木構造ではスティール弦の張力に耐えられないため、独自の力木構造を開発した。また、フローレンタイン・カッタウェイのボディ形状が印象的な「プロトタイプ」もこの時代に作られた(1974年頃)。現在ではカッタウェイボディは一般的となっているが、当時としてはまだ特異な形状だっただろう。ハイポジションでのプレイを容易にしたい、というブルース・コバーンのリクエストに対する答えがこれだったのだ。

 

 この時代のLarriveeギターは手作りで数が少なく、型の分類は難しい。シリアルナンバー等もまだない。販売はカナダ国内と一部ヨーロッパ向けで、アメリカや日本向けには販売されていなかった。当然、日本国内ではこの時代のものはまずお目にかかれない。

 

 僕は1974年製のLarriveeクラシックギターを所有していたことがある。これはトロントの楽器店から買ったものだ。この頃のJean Larrivee氏はまだ地元以外では無名に近い若者であり、材料の調達などはそれなりに苦労していたのではないか、と推測する。このクラシックギターはきちんとした良い材が使われているが、後のビクトリア時代のL-31に比べるとそのグレードはやや劣っている。また、ビクトリア時代以降のLarriveeはネックが一貫して「one-peace」構造であるのに対し、この時代は廉価なギターで主流の「two-peace」構造である。とはいえ、Larriveeギターの原点のクラシックギターとしては既に完成された物だ。逆に、これ以降は主力をスティール弦モデルに向けて行くので、純粋なクラシックギターと呼べるLarriveeはこの時代までではないかと思う。

Classical 1974
Classical 1974

 

 1976年頃になると、後のビクトリア時代のラインナップの原型となるモデルがほぼ完成したと推測する。ボディー形状、指板、ブリッジのインレイデザイン等の仕様がすでにビクトリア時代と共通したものとなっているからである。

 

 下記は1977年の、おそらく最初期のPresentationモデルである。これもネックはtwo-peace構造である。良質な材が使用されているが、ビクトリア時代のものとはやはりどことなく印象が違う。気候など工房の置かれていた環境の違いのためか、日本に来てからボディに「割れ」が発生した個体だ。

シリアル番号の刻印なし
シリアル番号の刻印なし


L-72 Presentation 1977
L-72 Presentation 1977

 

  Larriveeの工房はトロント市内で6回場所を移動しているが、ここではまとめて黎明期と位置づける。また、この時代はリンダ・マンザーをはじめ、後のカナダ・ギター界を担うことになる才能あるルシアー達がLarrivee氏のもとに集結し始めた時期でもある。

 

 Larriveeの黎明期はイコール、カナダのギター界の黎明期でもあったのである。