魔道記アーカイヴ

最古のMucha Lady ―2008年12月―  

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◆発端は20世紀 

 

 1995年頃の話――。当時、僕はギターから完全に離れていて、でも時折思いついたようにギター関連の雑誌を読んだりはしていた。ある時、思いがけずLarriveeの情報があって自然に視線が止まった。それはLarriveeの工場の様子などをレポートした記事だったのだが、少なくともLarriveeがまだ無くなっていないことを知って嬉しかった記憶がある。それで何となく最新のカタログが見たくなり、勢いで代理店に問い合わせてみた。 

 

 すると「現在正式なカタログは在庫が無く、最新のものを作成中――」とのこと。昔は共和商会というところが代理店だったのがこの時は神田商会に代わっていた(2008年当時。現在の代理店はキョーリツコーポレーション)。扱い始めて間もない、という印象だった。なんだ、まだLarriveeなんて一部にしか知られていないマイナーな存在のままだったのだ。何故かちょっと安心したりして。

 

 だが、「そのかわりに――」と言って、英語版のカタログとインレイの種類を説明した資料のカラーコピーが送られてきた。思えばこの数枚の資料が事態の始まりだったのだ。 

送られてきた資料の表紙 神田商会のLarrivee資料(カタログ発行前の1995年頃)
送られてきた資料の表紙 神田商会のLarrivee資料(カタログ発行前の1995年頃)

 

 

◆インレイ無くしてLarriveeは語れない 

 

 やはり僕にとってLarriveeと言えばインレイは外せない要素の一つだ。昔、Larriveeのインレイは手作りで同一の物は世界に二つとない、と説明されていた。とはいえ、それは主に手作りが故の個体差を指した話で、基本的な何種類かのデザインは当時からあった。

 僕が知るかぎり、初期の頃からの基本デザインは「タンバリン・レディ」と「ロビンフッド」の2種類のみ(ロビンフッドはこの資料からも後のカタログからも消えていたが)。ただ、基本デザイン以外の図柄も多数あり、全容は全く不明だ。実際、この時代の物をインターネットで見かけると、たまに見たこともないデザインのインレイが入っていることがあるので。

 

 そんな黎明期を過ぎてこの頃にはデザインもパターン化されて資料化されているのだ。時代は進んでいる実感がある。

 

 さて。資料によると、インレイには「人」モチーフと「動物」モチーフの2種類がある。「人」シリーズは位置付けとして最上位機種「プレゼンテーション」向けのインレイだ。下位機種ではカスタムオーダーか、スペシャル版でしか存在しないのだ。「人」シリーズの中には9種類のパターンが載っていた。その中で、これはいいな、と思ったのはおなじみの「Tomborine Lady」と、もう一つがこの時初めて見た「Mocha Lady」だった。 

 

 

◆Larrivee豆知識 

 

 ところで、Larriveeが日本に紹介された当時のラインナップは

・無装飾の「スタンダード」(L-09、L-11) 

・ヘッドと指板にのみインレイが入る「インレイ」(L-19、L-27) 

・ヘッド、指板、表板周囲及びブリッジにインレイが入る「デラックス」(L-10、L-28) 

・そして最上位の「プレゼンテーション」(L-78) 

・別枠として「クラシックギター」(L-31、L-32) 

といった具合だった。 

 

 「プレゼンテーション」(※1)になるとサウンドホール周りと裏板にもインレイが入り、全体がこれでもか! と言わんばかりのインレイだらけになる。まぁ、材質も最上級でブリッジが象牙だったりもする超絶モデルなのだけど。ちなみに材の種類だけで言うと、各モデルでは表板が「インレイ」まではシトカスプルース、「デラックス」以上は表板がジャーマンスプルースという差異がある。また、それぞれのモデルには標準の「L型」ボディと「カッタウェイ」ボディがある(はず)。さらに余計な知識としては「クラシックギター」と「プレゼンテーショーン」のジャーマンスプルースは"エイジド・ジャーマン・スプルース"と銘打たれた最上級の材である。 

 

※1:ちなみに、現在ではもう「プレゼンテーション」シリーズはレギュラーラインナップには存在しない。インレイ担当のLarrivee氏の奥さんが引退してしまったからなのだが、豪華インレイの無いLarriveeは何だか寂しい気がする…まぁ、僕の中ではカナダ時代までで時間は止まっているのだけれど。 

 

 

 この時代で「人」シリーズが入るモデルは「プレゼンテーション」のみ。「動物」シリーズは「インレイ」と「デラックス」ということになる。これが1989年以降の近年物になると 

「スタンダード」→03モデル 

「インレイ」→05、09モデル 

「デラックス」→10モデル 

「プレゼンテーション」→72モデル 

と、各モデルのグレードはだいたいこんな感じに継承されているはずだ。 

 

 送られてきた資料はこの近年の物なので「人」は72モデル、「動物」が10モデルのヘッドに入ることになる。それとは別に「スペシャル」として、10モデルのヘッドに「人」が入った物もあり、これがけっこうな人気だったようだ。 

 

――と、話がそれたが本題へ戻って。

 

 

◆「Mocha Lady」の謎 

 

 長い髪の女性が両手を頭の後ろに回して片足立ちしている。この、踊っているような独特なポーズの女性像は特に僕の目を惹いた。「Mocha Lady」とある。とても素敵なインレイで、ひと目で気に入った――のだが、一つ疑問があった。このデザインの何を指して「Mocha」と名がついたのだろうか。

Mocha Ladyインレイ 神田商会のLarrivee資料(カタログ発行前の1995年頃)より
Mocha Ladyインレイ 神田商会のLarrivee資料(カタログ発行前の1995年頃)より

 

 Mochaで即思い浮かぶのはコーヒー。僕が好んで飲んでいるコーヒー豆の銘柄だ。でも、このどう見てもこの図柄はコーヒーとは関係ありそうにない。辞書でMochaの意味を調べても 

・コーヒーの銘柄 

・イエメンの港町(モカの出荷元の港) 

・コーヒー色の 

と、これくらいしか出てない。イエメンの港の女性という感じじゃないし、肌がコーヒー色(褐色)でもない。では他に隠された俗語的な意味でもあるのだろうか? 正解は見つけられなかった。 

 

 そんないきさつもあり、これ以来「Mocha Lady」は僕の中でちょっと気になる存在になったのだ。 

 

Mocha Lady 出典:日本版カタログ1998年版((株)神田商会)
Mocha Lady 出典:日本版カタログ1998年版((株)神田商会)

 

 その何年か後で神田商会製作の正式な日本版カタログが出た。インレイについての説明ページもあり、その中にも「Mocha Lady」はあった。やはり気になる存在だ。「Mocha」の意味は相変わらず不明なままだったが。 

 

 

 

◆謎は解けた! 

 

 ところが最近、何気なくインターネットでLarriveeのホームページを見ていて、思いがけずその謎を解く鍵を見つけた。Larriveeのホームページにもインレイの説明コーナーがある。探すと、例の図柄も載っていた。ただし、タイトルは「Mocha」ではなく「Mucha」だった。

 

 Mucha?!? 

 

 スペル間違ってないか? ――って、どっちが? 

 

 この瞬間、閃いた。スペルを間違えていたのはカタログの方なのでは? Muchaとは――アルフォンス・ミューシャ、19~20世紀の有名なチェコの画家だ。もしかして、こちらを意味するものだとすれば――調べると、ありました!

 

『四つの宝石』-「アメジスト」「エメラルド」「トパーズ」「ルビー」 

 参考:http://www.mucha.jp/preciusstone.html

 

1900年に描かれた作品、この中の「アメジスト」に描かれた女性のポーズがまさにインレイの図柄そのままではないか。謎は解けた。正解は「Mucha」。何のことはない。インレイのタイトルは元からそのまま「ミューシャの女性」だったのだ。 

 

 あの資料も、後のカタログも単純な代理店側のスペル誤り。知ってる人が見れば一目でそれとわかったものを――残念ながら僕はそこまで絵画に造詣が無かった。元になった絵の方もそれはそれは素敵で。当然か。それにしても、たった一文字のスペルミスが今日まで僕を混乱させた原因だったとは。まあ、逆にそれも僕が「Mucha Lady」に魅かれた理由の一つだったと言えるのかもしれないけれど。 

 

 しかし、あのカタログはLarriveeがギター好きの人々の間に広く知られ始めた頃のものだ。今でもあの図柄の名称が「Mocha Lady」だと思い込んでいる人が相当数いるんだろうなぁ。とにかく、これにて「Mocha Lady」の謎は無事解決したのであった。めでたしめでたし! ――と 

 

 ここで話は終わらない。例によってここまでは単なる序章で――。

 

 

◆Larrivee版Muchaの起源は? 

 

 さて、Larriveeのインレイに「Mucha」が加わったのはいつ頃からなのだろう。それは僕の手持ちの資料からは知る術がなかった。ただ、恐らくバンクーバー以降、1990年代の物だろうと推測はしていた。理由はなんとなく。根拠はない。いや、昔からあったのならそれなりに露出があってしかるべきデザインだ。が、現に、これまでインターネットでも1980年代以前のMucha Ladyインレイは一度も見たことが無い。つまり、僕の興味対象である1980年代前期までのLarriveeにMucha Ladyは存在しない

 

はず――。 

はずなのだ――。 

はずだったのだ――。 

はずに違いなかったのだ――。 

 

ところが。その、存在しないはずの「Mucha Lady」が突然目の前に現れた!