Ramzy's  

 この辺りは街の中心部からやや外れた、高層マンションが多い地域だ。ただ、街自体は古く、所々に忘れ去られたような古い町並みも残っている。 Ramzy'sはそんな名残りを残す通りの並びにあるギターショップだ。 

 

 中島公園の南端から西へ進んで電車通りを横切ると、車通りの多い商店街になる。その道路沿いの古い建物の1階に、真新しい「Ramzy's」の看板があった。目を閉じてギターを抱えている羊のイラストは、それだけで不思議と和んだ。 

 

 店の正面のガラス張りのドアを開ける。店内は自然な木目調の内張りになっていて、その壁には所狭しとギターが掛かっていた。広さは15、6畳程度だろうか。新品のギターが並ぶ楽器店とは違う、どこか柔らかな気配を感じる。そこにあるのはどれも、それぞれに物語を持った古いギター達だから。 

 

 店内に入ると、奥で作業をしていた小柄な若い男性がこちらを向いた。セル縁のメガネをかけた細面の……店長のN氏だった。 

 

「こんにちは」挨拶をする。 

「実は……見たいギターがありまして……。」 

僕は目的のギターの型番を告げた。 

「あ、それ……見たいというお客さんがいて、今日発送するところだったんですよ。」

「!」 

複雑な衝撃が襲う。 

 

 出会い――それは人に限らず、ギターにも当てはまるものだ。 

 

 

 僕の目当てはLarrivee L-10 1979 というギターだった。かつて所有していた初代L-28とほぼ同年代のモデルだ。L-28が欠けのあるカッタウェイボディなのに対し、L-10は通常の「L型」というボディ。仕様の違いはそこだけで他は全て同じの、いわば兄弟機種だった。

 

 きっかけは2年ほど前、偶然手にしたL-31という古いLarrivee。これはクラシックギターで、音の傾向が現行Larriveeとは全くの別物だ。

 

 クリアで繊細かつキレがある、というのが比較的新しいLarrivee 二代目C-05の印象だ。 対してL-31の音は深みがあるというか、説明不能な魔力のような響きがある。スティール弦とナイロン弦の差はあるとしても、これが古いLarrivee全般の傾向だとするなら、僕の求めるべきはその時代の物に限るということになる。

 

 記憶の奥底にイメージとしてしか残っていないL-28の音。それをもう一度この耳で聴きたい、いや、実際に弾いてみたい! ずっと思い続けていた。しかし、それはここ札幌では「かなわぬ夢」のはずだった。そう、このRamzy'sがオープンするまでは! 

 

 だから、この店にこのL-10があるのを知った時は驚いた。でも何という悩ましいタイミングか。ちょうど実戦用の2台目のクラシックギターを買った直後だったのだ。 

 

 実際に弾く行為が同時に、危険な衝動と背中合わせになることは目に見えていた。弾いたら最後、欲しくなるのが火を見るより明らかだった。この店のホームページの画像からはすでに強烈なオーラが見えていたのだ。とびきり極上な「魔女」のオーラが。 

 

 このL-10は魔女だ。確信があった。だから自制した。この店を訪れることを。先週も――。 

 

 でも、やはり実物を見たい思いが勝って今日ここへ来てしまった。そして、良い意味でも悪い意味でも、この一週間が運命を分けることになった。 

 

 

 一瞬呆然としていた僕に、店長が声を掛ける。 

 

「せっかくだから弾いてみますか?」 

「え、いいんですか?」 

 

なんと、L-10を弾かせてくれるという。 

 

 買うことが出来ない実物。予想外の展開だけれど、これはある意味理想の展開ではないか。間違って欲しくなっても買えない、絶対安全装置のかかった状態。 

 

 店長が店の片隅からL-10を取り出して来た。それは――見た印象はL-31ととても良く似ていた。無理も無い。使用されている材の感じがほとんど同じなのだから。 

 

「どうぞ……。」 

チューニングを終えてギターを差し出される。そのチューニングの音ですでに、このL-10が只者ではないことがわかった。 

 

 手に取らせてもらう――いや、この感触! 思わず鳥肌が立った。 

 

 実在することがにわかに信じられない、夢の中のギターがそこにあった。わずかにボディーの形とヘッドのインレイ――これはユニコーンだ――が異なるだけで、質感は記憶の中のL-28そのものと言ってよいもので、思い描いていたよりもはるかに素敵なギターだった。 

 

 弾いてみると、おお、何という響き! どこまでも透明でかつ底知れぬ深い余韻。冷静に分析すると、L-31のスティール弦版はこういう感じの音だろうと、膨らませていた想像のラインの延長戦上だけれども、はるかにそれを突き抜けた音だ。美化されがちな記憶の中のイメージを凌駕するとは! これは先約がなければ間違いなく買っていたところだ。危ない危ない……。 

 

 しばらくの間、時間を忘れL-10から湧き出る音に身を委ねた。 

 

 

 いろいろと話し込み、気が付くと一時間半もそこにいた。僕にはしてはこんなことは珍しい。 

 

「ありがとうございました。また来ます!」

魔女との出会いは常に何か新たな始まりへの扉だ。たとえそれが僕の所有物じゃなくても。

 

 店を出た時、はっきりとわかった。僕はやはりあの初代L-28を探さなければならないのだ、と。L-10という魔女はそれを教えてくれたようだった。 

 

 それと、もう一つわかったことがある。それはRamzy'sが極めて危険な店だということ……。 

 

 

<完>