大魔女の系譜  

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 僕の運命を変えた「究極の魔女」は、Larrivee L-78 Presentation Cutaway というカナダ製のギターだ。 

 

 何故「究極の魔女」と言うのか――。

 

 何故って? 僕にとってこれ以上のギターは有り得ない。唯一絶対、究極の一生モノだ。おまけに正体は人の魂を喰らって生きる魔女の如く――だから「究極の魔女」。 

 

 2009年に弾き語り活動を再開して以来、「トリムDEらいぶ」に数多く出演させてもらっているのだけれど、どうも主役は僕の歌じゃなくて「究極の魔女」の方らしい。会場が『魔界』と言われるトリムのおかげもあるのか? この音の評判がすこぶる良いのだ。

 

 

 この「究極の魔女」の写真を雑誌で初めて見たのは1980年の年末。Larriveeが正式に日本に入って来るようになってまだ間もない頃だ。この時の衝撃は人生で一、二を争うものだった。今思うと、この瞬間に僕の運命は変わった。存在感も値段も天上界レベル、異次元の夢物語――およそこの世の物とは思えないそのギターに完全に心奪われてしまったのだった。

 

 あの頃、あの雑誌を見ながら願をかけたのを思い出した。「もし君を手に入れることができたら、必ず君にふさわしい歌を歌うから――」これが悪魔の契約になるとは知らず。

 

 それから30年近い年月を経て、何と、叶うはずのないその願いは本当に叶ってしまった! ということは、あの契約は果たされなければならない。そして、まさかの弾き語り活動再開の運びとなる。

 

――というのが前回までの話。

 

 今回はそもそもの発端である「究極の魔女」誕生の背景について。

 

 

 Larriveeが日本に知られるようになったきっかけは、カナダのブルース・コバーン(Bruce Cockburn)というミュージシャンが使っていたギターの音。その音色はMartinやGibsonなどと全く違っていて、どこのギターを使っているのか話題になったらしい。それがLarriveeというメーカーだということは、彼が1977年に来日した時に初めて明らかになった。 

 

ブルース・コバーンの初期のアルバムではこの頃の音を聴くことができる。

Bruce Cockburn 「All The Diamonds In The World」 (YouTube)

 

 Larriveeは、カナダのトロントでクラシックギター製作を学んだJean Larrivee氏が、個人でクラシックギター製作家として1967年に創業。その後、トロントの音楽コミュニティの友人達からの依頼により、1971年頃からスティール弦のアコースティックギターを作り始める。

 

 Larrivee氏はクラシックギターをベースに、試行錯誤を重ねて独自のアコースティックギターを作り出した。これがスティール弦のアコースティックギター・メーカーとしてのLarriveeの始まりである。

 

 現在のLarriveeの原型とも言える型が確立したのが1974年頃。当時のLarriveeの外観は、基になったクラシックギターそのままに何の飾りもないシンプルなスタイルだった。そして、Larriveeの代名詞的な鋭角カッタウェイのプロトタイプができたのが1975年。これはブルース・コバーンのリクエストによるものだ。

 

画像:Bruce Cockburn's 1975 Brazilian cutaway - Toronto https://www.larrivee.com/content/277/1975%20B%20cocburn_940x700.jpg https://www.larrivee.com/content/397/Bruces-75_940x700.jpg

現在バンクーバー空港に展示されているブルース・コバーンのLarrivee

(Larrivee公式ホームページの画像より)

 

 やがて、Larrivee氏の奥さんの手によってヘッドにインレイ装飾が入るようになる。目的は他のメーカーとの差別化を図るためだったが、これが功を奏する。結果的に、鋭角的カッタウェイと美しいインレイ装飾は外観上大きな「売り」になり、その後も長くLarriveeの特徴として認知されるようになった。 

 

 

 「究極の魔女」が製作された当時は、カナダのビクトリアという町に工房があった時代(1977~1982)で、ちょうど初期Larriveeギターの完成期だった。 

 

 この時のカタログ上のラインナップは下記のようにグレード分けされており、Presentationは最上位のグレードに位置付けられていた。 

 

<<1980年当時のグレード>>

・Presentation(大魔女) 

・Deluxe(中魔女) 

・Inlay(小魔女) 

・Standard(見習い魔女)

       ↑カッコ内は僕が勝手に命名 

 

 「究極の魔女」はブリッジ全体が象牙製の特別仕様で、最上位Presentationの中においても頂点に君臨したモデルだ。そのルックスから、当時の日本版カタログの表紙を飾っていた看板娘? であり、音楽雑誌等の写真にも使われた有名な個体なのだ。 

 

 では本題。この頃のラインナップ、「究極の魔女」が属する「Presentation(大魔女)」の仕様はいつごろ確立されたものなのか? 残念ながら、このあたりのいきさつはホームページその他どこを探しても見つからない。

 

 それはいつ頃だろう? もしかすると「究極の魔女」が最初のPresentation仕様だった可能性もある。

 

 大きな区切りはトロントからビクトリアに工房が移転した1977年と推測される。なぜなら、この移転はLarriveeにとって一大転機だった。ギター製作の工程や仕様にも大きな変化があったはずだから。

 

 カタログのグレード分けがビクトリア移転当初の1977年からか、それ以前のトロント時代の最後期あたりにはもう確立されていたのか? 「究極の魔女」以前にPresentation仕様のモデルが存在したのか? この疑問を解決するには、どうしても未知のトロント時代のLarriveeを探す必要があった。

 

 しかし――。

 

 トロント時代(~1977年)の物はインターネット上でさえ絶滅種と言えるほど極端に少ない。画像はおろか、単語としてさえほぼ検索には引っかからない。

 

 僕がLarriveeを探し始めた2004年末以降、それでもDeluxeに該当するモデルは何本か画像を見つけた。だが、Presentationに限っては影も形も見当たらない。こうなると、トロント時代にはまだPresentation仕様が確立していなかったと判断せざるを得ない。

 

 「究極の魔女」はイコール最初期のPresentationモデルだった可能性が高まった。

 

 

 ところがある日、ついに見つけた! それこそは「究極の魔女」の祖先、最古の大魔女Presentationモデルの原型――。