魔道記~外伝(非・魔物ギター編)

渡らなかった橋の続き  

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◆「もしもボックス」があったなら 

 

 正統派ギター少年なら憧れは「いつかはMartin」――なのだが、何の因果かLarriveeの橋を渡ってMartinの王道から外れてしまったおかげで、僕は邪なギター少年の裏街道を歩むはめになった。それはそれでとても楽しいのだけれど。 

 

 でも、ふと思う。Larriveeに出会うことなく正しいMartinルートを歩んだ場合、どうなっていたのだろう? これは考えると楽しい。ドラえもんの「もしもボックス」みたいな魔法の道具があったなら、と思ったりする。

 

◆S.Yairiの現実 

 

 「もしもボックス」は無いけれど、今はインターネットという強大な、ある意味魔法の道具がある。その気になれば割と簡単に探せたりして――実は、Larriveeの魔女を探している最中にもS.Yairiのことは気にしていた。かつて一度は憧れたブランドだ。気にならないわけはない。それで、YD-302も一度手にしたことがあったりする。当時、楽器屋で見たのと同じ1980年代初頭仕様だ。だが、Larriveに比べて余りにも薄っぺらな音で……。

 

 イメージの音のハードルが高すぎた? Larriveeがイメージ通り、いや、イメージをはるかに超える音だったので期待しすぎた?  当時、楽器屋に飾られていたS.Yairiはこんな音だったのか? だとしたら、ハッキリ言って幻滅である。

 

 その後も何度かS.Yairiを弾く機会があった。勢いで、上位機種である「オール単板」モデルのYD-306さえ一度は手にしたこともあった。だが、どれも、どうにもしっくりこなくて結局手放すことに。なぜ? こんなはずでは。

 

 実際、Larriveeの影響が強すぎたせいもあるけど、個体そのものに思ったより魅力を感じられなかったのが最大の理由。やはり必要以上に美化していたのかなぁ。昔、気に入っていたブランドなんだから、そんなはずはないのだけれど。だから――やはりS.Yairiの橋を渡らなかったという過去の事実は重いのだと思う。一度踏み外した道に簡単に戻ることは叶わないのだ。

 

 「縁」という言葉を思う。Larriveeの魔女達は吸い寄せられるように僕の許にやってくるのに、S.Yairiとはなんだか相性を感じられない。こういうのを「縁がない」ということなのかもしれない。そういうものだと思っていた。 

 

 まだ究極の魔女と出会う前の頃のことである。 

 

 

◆遅れて来た2本目 

 

 その後の無駄知識で、S.Yairiの仕様変遷なども知った。実は、僕が憧れていた当時(1980年代初頭)はS.Yairiの末期で、その頃のものは作りも音もあまり良くないのだ、と。音が良いのは1970年代、それも前半、みたいな。少なくとも、黄金時代――1970年代中盤頃の機種までが狙いだと。 

 

 なるほど。僕が今まで手にして手放したS.Yairiはどれも1980年代製だった。もしかすると「はずれ」ばかり手にしていた可能性もあるということか。だとすれば、僕は黄金時代のS.Yairiの音をまだ知らないことになる。

 

 もし、今後更なる縁があるとしたら――それは1970年代中期以前のもので、そしておそらくはS.Yairiを手にする最後の機会となるだろう、と思った。でも、そんな機会が来ることはあまり想定しなかった。渡らなかった橋の続きを辿るなら、それは楽器屋に飾られていた新品に匹敵するものでなければならないから。

 

 S.Yairiが倒産して既に30年近く経った現在、そのような僕の琴線に刺さるような個体が出てくるとは到底思えなかったのである。

 

 

 ところが、その数年後に機会がやって来た。奇跡のようなミントコンディションの1970年代中盤のS.Yairi YD-303を発見!

 

 YD-303はYD-302の一つ上位の機種だが、見た目はYD-302とほぼ同じ(違いはサイド・バックの材のみ)。おまけに、売値は当時のYD-302以下! そんなわけで――。

 

 

 2013年3月。やって来ました。 S.Yairi YD-303 1976年製。あの日の楽器屋のショーケースから瞬間移動してきたかのような真新しさ! まさに「もしも、あのギターが今手に入ったら」の世界である。 

 

 これは渡らなかった橋の続き、僕にとって遅れて来た2本目のギター。その実態は――。