1980年の衝撃  

 最初のアコースティックギターは中学3年生のときに母親に買ってもらった。確か試験の成績が良かったご褒美だったように記憶している。国産でMorris(モーリス)のW-20という¥20,000-の入門モデル。ドレッドノートと呼ばれるボディ形状の、Dの型番のMartin(マーティン)を真似たものだ。

 

 当時、有名なギターブランドといえばマーティンくらいしか知らなかった。誰もが「いつかはマーティン」と思っている程の王道ブランドで、巷にはその代表モデルのD-28を模した国産ギターばかりが溢れていた時代である。なので、フォークギター(アコースティックギターはこう呼ばれてた)の形はこれしかないものだと思っていた。

 

 そういう状況の中で初めてLarrivee(当時の表記は「ラルビー」)ギターの写真を見た時の衝撃は忘れられない。

 

 

 1980年12月――高校1年生の時。ギターを始めてからちょうど1年ほど経った頃だ。ギターは独学で、書籍・雑誌の類が主な情報源だった。当時、僕が熱心に愛読していたのが「Guitar Book」。「ニューミュージック」と言われたジャンルの旬な情報と、アコースティックギター・テクニックの講義などの音楽情報誌だ。

 

 ちょうど、この年の秋からの月刊化と同時に始まった名器クローズアップというコーナーにそれは載っていた。

 

 ラルビー L-78
題字と画像は当時のイメージ
題字と画像は当時のイメージ
ラルビー L-78
ラルビー L-78

 カナダの新鋭ブランドとして紹介されていたそのギターは、 特異な「欠け」がある美しいラインのボディ形状と、独創的なインレイ(装飾)――見たことのない異世界がそこにあった。

 

 ボディーの「欠け」は、ハイポジション・プレイを可能にするための「カッタウェイ」という形状。肩の張った、厳つい印象のD型ボディに見慣れた目にはカルチャー・ショック以外の何物でもなかった。


 

   ヘッドの女性の姿のインレイは手作りの大変豪華なもので、おおよそ他のギターで目にしたことのなかった類のものだ。そのときによって異なるというそれはLarriveeの大きな特徴なのだという。

 

 更に、改めて写真をよく見ると「あるべきものが無い」ことに気付く。あるべきもの――ピックガード。だがそれは、無いのではなく見えないのだった。よく見ると四角い透明なピックガードがちゃんと付いている。

 

 目にするものすべてが斬新で、そして何より……美しかった。「Larriveeの文字がなくても一目でそれとわかるギター……」記事はそう結んであった。そんな魅惑のギターは僕のギターの常識の壁を瞬時にして粉砕してしまったのだ。

 

 見終ったときには完全に虜になったいた。この日以来「ラルビー L-78」は僕の憧れのギターになった。「いつかはマーティン」ではなく、「いつかはラルビー」だ。姿形にふさわしい美しい音色、それをステージで弾く自分の姿……妄想は膨らむ。

 

 ただ、憧れはあくまでも本当に憧れの世界だった。写真のモデルは当時のLarrivee最上位機種 L-78 Presentation Cutaway。ブリッジ(下駒)が、当時でも現行唯一の象牙製という超絶最高級機種! 当時で¥950,000-という値段は、その姿同様、あまりにも現実からかけ離れたものだった。

 

 まったく、アイドルに恋するようなもので一介の高校生に手の出せる代物ではなかった。せめて写真だけでも、とカタログを入手して眺めるのがせいいっぱいで――。

 

 それが意外に早く、現実に近い所まで降りて来たりする。

 

 

<完>