12月11日夜。予定日より早く、厳重に梱包されたギターケースが到着した。
Larrivee L-28 Deluxe Cutaway OLD EAGLE 1980
ついに同じインレイのL-28と再会できた。初代魔女を手放してから実に35年ぶり、ギターを再開してからでさえ、すでに16年もの月日が過ぎていた。
ひとしきり感慨に浸ったら、懸案事項の状態チェックを開始!
ボディは埃だらけ、塗装表面は劣化して激しく曇っている。事前の「長年物置に放置されていたジャンク品」の見立て通りである。やれやれ。だが、恐れていた煙草等の嫌な臭いはなく、カビも発生していない。弾き傷は、最悪の酷さを想定していたから意外に予想通り。ピックガード横の汚れ部分は、何かがくっついて溶けたようになっていたけれど。
ネックはやや逆反り気味。修正は必要かもしれないが、弦を張りっぱなしで元起きになっているよりは全然良い。元起きだと最悪ネックリセットの大手術が要るので。
ペグは無いが、何か加工を施したりとかではなく、単に外しただけのようなのでたぶん大丈夫。
毎回必ず問題発生しているブレイシングには、今回も明らかに不具合がある。しかも「究極の魔女」の時より症状は深刻そうな感じである。
さらに、表板裏に謎のピックアップ(※1)が取り付けてあった。これは取り外しだな。
※1:ピックアップとは、ギターの「音」を拾って電気信号に変換する装置。
ざっと点検した結果、軽症ではないが何とか楽器として復活できそうな感じではある。最悪はオブジェかな、と思っていただけに一安心。良かった――!
さて。時間も遅くなってきたが、翌日は休日なのでこのまま作業を継続する。
まずは汚れ落とし。表面の曇り、劣化した塗装を一皮剥いてやることにする。曇りが激しいので、ここはピアノ用のコンパウンド剤を使う。ただし、溶剤入りなのでデリケートなラッカー塗装に対しては失敗しても自己責任の範疇だ。お勧めはしない。
目立たない裏板で試す。手早く拭き取れば大丈夫そうである。側板と裏板のローズウッドはダークな色合いだ。そういえば初代魔女もこんな感じだった。さらに――
あの当時、裏板のちょうどカッタウェイの部分でバインディングと本体の継ぎ目が剥離して隙間が発生し、困った僕は木工用ボンドでその隙間を埋めたことを思い出した。見たことのない症状に動転し、突発的に無茶なことをしたものである。他にもラッカーの塗装全体がなんだか柔らかくなってきたりで、頑丈で塗装も無機質だったMorris W-20とは違い、あらゆる部分がデリケート過ぎて大いに戸惑ったっけ。
――で、驚いたのは、今回その記憶通りの箇所に隙間があって、ボンドか何かで埋めたような痕跡があったのだ。
まあ、このカッタウェイの部分はカーブが急なので剥離が発生しやすいのだが(実際「最後の魔女」L-28も剥離して隙間がある)、それにしても同じようなことをする人がいるものである。今なら、木材の伸縮でこの程度の隙間はまあ気にしなくていいというのはわかっているけれど、当時はそんなことは知らずに大いに慌てふためいたのである。
ここで、ふと視線を感じた気がして顔を上げると、入口の陰から怖いもの見たさで恐る恐るこちらを覗いていた妻と目が合った。そそくさと逃げようとするのを、これ幸いと首根っこを捕まえて部屋に招き入れる。しまった! と首をすくめた苦い表情に構わず、かくかくしかじかと小一時間ほど、過去の経緯から事細かに説明してあげた。「――同じようなことをするヤツがいるんだよね」
すると、観念してじっと話を聞いていた妻はしばし首をかしげていたが、やがてぽつりと言った。
「ねぇ、それって……似てる、とかじゃなくて、ずばりそのものなんじゃないの?」
え――!
何、これが初代魔女そのものだと? まさか――でも確かに、感覚的に似ているとは思っていた。だが、そんなはずはない。なぜなら初代魔女は海外に売られて……あれ?
どうしてそう思い込んでいたんだろう?
そこまで希少なインレイで、裏板の感じも似ていて、修理跡の記憶も一致――なのにどうして「違う個体」だと言い張るのか逆に不思議だ、と妻は言う。至極客観的かつ的確な指摘であった。
なぜって、それは――
そもそも、初代魔女を手放した顛末は35年前。その頃、ライブハウスで時々演奏させてもらう機会があった。
ある日、そこのマスターが僕のLarriveeを見て「む、割れの兆候が……」と言い出した。「放っておくと完全に割れるかもよ。外国のギターだから日本の気候には合わないんだよね」と。今なら「割れの兆候」の下りは笑って受け流せるが、当時は大ショックだった。
マスターは言う「で、どうする?」と。そして困っている僕に「下取りで引き取る替わりに同等のギターを提供できるけど」という話を持ち掛けてきたのだ。
同等のギターとは、とある一流ブランドのオーダー品のスペアだ、と言う。オーダー品は納期に間に合わせるため、2本同時並行で製作する場合がある。それは万が一製作途中で不具合が発生した場合に備えて。よって、問題がなければ2本目は余る。紹介するのはそういう事情の裏の流通品である、と。
実はマスターはそういう裏ルートのギターを扱う売人でもあり、海千山千の商売人であった。二十歳そこそこの世間知らずな青二才などは絶好のターゲットだ。いたずらに不安を煽って商品を買わせる、悪徳とは言わないがフェアか? というと首をかしげるたくなるやり口ではある。まあ、そんな大人はどこにでも普通に居るのだけれど。
僕に限って言えば、運悪く裏板のバインディング剥離事件の直後のことだった。Larriveeがデリケートで管理が難しいことも身に染みて実感していた所で、結局僕はそういう悪いタイミングでの「悪魔のささやき」に乗って取り引きに応じてしまった。
そして、その後マスターから「あのギターは今頃、表板を修理されて海外にでも売られて行った頃だ」という話を聞いたのである。
そう。当時としては致し方なかったと頭ではわかっている。何より強制でもなんでもなく、決断をしたのは僕自身なのだから。だがその決断が後々に及ぼした影響の大きさゆえ、折に触れて自問せざるを得なかった。あれは正しかったのか? と。
真偽を確かめるには、もう一度ギターの表板に本当に割れが発生していたのかをこの目で確認するしかない。が、それがかなわない以上、間違っていなかったことを正当化するために、あの出来事、マスターの言葉は本当だったと無理やり思い込んでいたふしがある。つまり裏を返すと、売らんがための口車に容易く乗せられ、手放さなくても良かった初代魔女を手放してしまったのでは? という疑念を認めるのが怖かったのだ。
おかげで、無自覚な防衛機制がはたらいて自己洗脳みたいな状態に陥っていたというのか――。
ただ実際の話、あの決断はどうだったのかというと今現在の答えは明快だ。ギターのコンディション管理ができない懐事情、身分不相応という客観的事実から、遅かれ早かれ初代魔女は僕の許から離れて行く運命だったのであろうと思っている。
これが「初代魔女は海外へ売られてしまった」という思い込みの真相だ。根拠はマスターの言葉のみで、実際の真偽は不明なのである。怖いことに本当に今の今まで――妻の言葉を聞くまで、そのことを全く自覚していなかったのだ。
何だか体がフワフワする。急に頭痛がしてきた。トラウマとも言える強固な呪縛が解けたということか?
一つ言えるのは「もしかすると眼前のL-28が本当に初代魔女であるかもしれない」という本当に「まさか」の可能性が、急激に真実味を帯びてきたこと。にわかには信じられない。いや、まだ単なる「可能性」の段階だ。落ち着け!
では改めて先入観なしで見てみる。これははたして本当に35年前に手放した初代魔女なのだろうか?
2021.1.31