人生には引き返せない分岐点が無数にあるものだが、もしも、あの時違う選択をしていたら――と、想像することがたまにある。その時は気付かなかったとしても、目の前にありながら渡らなかった橋がいくつもあるのだ。
そんな橋の一つをもう一度渡れるとしたら――。
◆「いつかはMartin」の世界観◆
僕がギター初心者だった当時、市場に出回っていた初心者向け国産ギターは全てMartin Dタイプのコピーだった、と言っても言い過ぎではない。だから、正統派ギター少年達の憧れが「いつかはMartin」となるのは必然的だった。これは遺伝子レベルの刷り込みに近いものがある。実際、僕は「フォークギター」といえば、この形しかないものだと思い込んでいたし。
当時の相場ではドルのレートが今の2倍くらい高かったとはいえ、本家Martinの値段は全く論外の別格。たぶん、新卒社会人の手取りの数ヶ月分みたいなレベル。そのせいもあって、世間的には「Martin=神」の図式が成り立っていた。今現在でも、ある程度以上の年代のギタリストなら誰しも少なからずその影響を引きずっているはずである。
さて。
そんな時代の、初心者用ギターからステップアップしたい、と欲したギター少年の次なる道は何か? 神のMartinへと繋がるステップはだいたいこんな感じに明確に示されていた。
①Morris、YAMAHA等の初心者向けギター オール合板 2万円クラス~
↓
②国産の中位機種 表板が単板 5万~10万円
↓
③国産の上位機種 オール単板 15万円~
↓
④Martin! 神の領域!
なんだかサラリーマンの出世コースみたいで、ある意味とてもわかり易い。
僕はどうだったのか? と言うと――現在、王道のMartinは1本も所有していない。過去にも、一度も所有したことさえない。それはやはりLarriveeの存在が大きく影響しているからだ。
高校時代に「究極の魔女」に衝撃を受け、大学に入ってすぐLarriveeの初代魔女に出会ってしまったことで、僕のギターライフの軌道が大きくずれてしまった事実は否めない。でも、途中まではきちんと由緒正しき出世コースを歩もうとしていたのである。
最初のギターはMorris W-20。Martin D-28のコピーで、初心者用最安価格帯の2万円! (上記①)
本来なら――高校時代、次に欲しいギターはあった。Larriveeに憧れてはいたが、それはあくまでも非現実的な憧れ。現実的な憧れの2本目のギターはS.Yairiだった。
◆由緒正しき2本目ギターとは◆
由緒正しいギター少年は考えた。2本目としては表板が単板のモデルが欲しい。でも、Martin D-45あたりを意識した派手な装飾のMorris上位機種とかは僕なんかじゃ外見負け確実だ。純粋に中身(性能)で勝負している機種を! と、探していた時に偶然見かけたのが、楽器屋のショーケースに飾られていたS.Yairi(注1)だった。
Larriveeが手の届かない永遠のアイドルだとすれば、S.Yairiはまだクラスのアイドル的な、現実的な憧れの対象だ。とはいえ、初心者向けの廉価ギターとは一線を画し、最低ランクでも5万円以上したので、高校時代の僕にはなかなか手の届かない高嶺の花だったことも事実。(まぁ、その点でもクラスのアイドルだよなぁ)
楽器屋に飾られていたのはYD-302というMartin D-28のコピーモデルで、YDシリーズでは最廉価の6万円。姿形はMorris W-20と瓜二つだったが(どちらもMartin D-28のコピーなんだから当然)、瞬時に目を奪われた。何か、質感というか、たたずまいというか、オーラが違っていた。見た目がそっくりな分、その差異も際立ったのかもしれない。カタログではわからなかった「違い」というものに初めて気付いて、この時もけっこうな衝撃だった。
買おう! と決意し、色々画策してはみたのだが――結局、高校時代には買えなかった。タイミングとか、いや、ギターに対する覚悟がその程度だった、ということなんだけれど。結論は、大学に入ったら買おう、と。そしてその後は、ぼんやりとMartinへと続く由緒正しきギター道を歩んでいくはずだった。
ところが、大学に入るといきなりLarriveeの「初代魔女」と出会ったおかげで、未来は変わった。おまけに、いつのまにかS.Yairiは倒産してしまっていた(注2)のである。そのことは初代魔女を手放してしまった後に知った。気が付くと、S.Yairiは欲しくても手に入らないギターになっていたのだ。
◆渡らなかった橋◆
どこで道を違えたのだろうか? 人生には引き返せない分岐点が無数にあるものだが、もしも、あの時違う選択をしていたら――もし、2本目にS.Yairiを買っていたら、その後はどんなギターライフになっていたんだろう? 後悔とかではなく、純粋に想像することがある。
幻の2本目となってしまったS.Yairi――これは僕のギター歴の中で、渡らなかった橋の一つなのである。
<完>
注1:S.Yairi エス・ヤイリ
Martinのコピーでありながら本家Martinをも凌ぐと言われた程の、当時の国産ギターの雄。初期のS.Yairi(1970年代初頭)は井上陽水が使っていた。そのギターの音が聴けるライブアルバム「もどり道」は有名)
注2:現在あるS.Yairiはブランド名のみ受け継いだ全くの別メーカーである